査読論文の評価
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2013年10月11日
学術論文は、雑誌の編集者と第3者の査読者(複数名)によって評価され、内容の妥当さや新規性をもとに、掲載の可否が決まります。
これに関して、最近いくつかの興味深い(少なくとも私には)コメントを読みました。
ひとつめは、TREEに掲載されたi意見で、要は、斬新さ(novelty)を理由に査読に回さずに、編集者がリジェクト(掲載拒否)の判断を下すのは、科学の発展の妨げになり得るというものです。
本当に斬新な(新規の)研究なんてほんのわずかで、大半の研究は、過去の研究の積み重ねの上に成り立っているものである。ゆえに、雑誌が研究の斬新さを求めすぎると、著者は故意に、あるいは意図せずに、自身の研究の新規性を誇張することにつながるし、何よりも過去の重要な研究の価値を下げたり、無視したりすることをもたらすという意見です。そのために、査読の初期段階では、斬新さよりも、方法論などの内容の妥当性で評価すべきとのことです。
確かに、言われてみれば、新規性を強調するために、内容の似る最近の論文をあえて引用しなかったり、無理矢理に斬新さを謳おうとすることが私にも少なからずあったような気がします。
この話は、最近はどの雑誌も採択率が下がってという出だしでしたが、打って変わって、論文出版がいとも簡単にできてしまうという報告が、先週のScienceで記載されました。
ここでは最近乱立するオープンアクセスジャーナル(出版社ではなく、著者が出版費用を払う)についての記事です。
この報告によると、少し考えれば内容が妥当ではないとわかる論文をあえて作成し(英語もネィテイブではないものに崩して)、あちこちのオープンアクセスジャーナルに投稿するというものです。その結果、多くの雑誌が、いとも簡単に(本来掲載拒否されるべき)論文を受理し、出版代金を請求してくるということです。なかには、投稿しただけで、いきなり出版費用の請求が来ることもあるようです。
このような出版社は、見た目上は米国や欧州に住所を置いているように見せるが、実際には存在しない住所だったり、送金先はインドや中国であったりするとのことです。この報告中には、実際にどの地域の銀行口座を用いているのかの地図が表示されており、明らかにインドが多いです。
つまりは、査読とは名ばかりで、容易に受理され出版される雑誌が、世の中には溢れかえっているとのことです。先の主要雑誌では採択率が軒並み下がりという報告とま逆ですが、なんでも良ければ論文が出版できるという恐ろしい(科学の発展を妨げ得る)時代になったのですね。
ちなみに、このような雑誌でもっとも有名なPloS ONEは先の論文を掲載拒否したようです。このような試みが知らずに行われていることもなんだか怖いですね。