論文出版のバリア

査読のまわってくる量がさらに増えました。昨日の夕方に大物がようやく終わったと思ったら、直後にまた依頼が舞い込み・・・。

論文査読には貢献したいと思っています。しかし、査読者としての査読だけで(エディターとしての査読は除いて)常に4本ほど抱えている状態で、相当に時間を使っています。しかも、なぜか論文を出したことがない(出せたことがない)ような雑誌からも、結構依頼が・・・。むしろこちらの論文、受け入れてください。まあ、査読にさすがに飽きてきたので、ただの戯言です。

さて、最近査読に関するいくつかの議論を目にしました。われわれ日本人に関連する話としては言語バリアですね。生態学関連でもいくつかの議論があります。
言語バリア関しては、ネイティブスピーカーを著者の一人に招き入れることが、言語バリアによって論文が通らなくなるのを防ぐのに効果的であるという意見がある一方で、ネイティブスピーカーのベネフィットを増やすだけだという意見があります。
さらには、興味深いことに、英語を母語にしない著者による論文の割合は、雑誌のインパクトファクターのランキングが上昇すると下がっていくとの報告があります。つまり、いわゆるhigh-profile journalsといわれるようなところに論文を出版するには、ネイティブスピーカーのほうが断然有利らしいです(当たり前ですが)。ここで、興味深いのは、この傾向に地域差があることです。北米で出版される雑誌には、英語を母語としない著者の論文割合が、他地域の出版雑誌よりもさらに低いらしいです。
言語バリアは、厳密には個人の努力だけで完全には乗り越えられない課題ですね。ゆえに、上記の主張などでも、たびたび編集方針の転換や英語に係る編集サービスの提供、ダブルブラインドの査読などが提案されてきましたが、出版する側にはコストもかかるので、あんまり状況は変わっていないように思われます。
私は言語バリアに係る話題に関心がある(つまり、めっちゃストレスがある)ので、ここに記しました。
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