仙台にて

先週、金曜日に東北大学に行きました。仙台に行くのは、2度目です。前回は生態学会で行ったはずですが、どうやっていったのかどこに行ったのか、まったく覚えていません。東北新幹線に乗るのも初めてで、今更ながらいろいろと新鮮でした。

東北大学では、グローバルCOEの方々にお招きいただいて、北海道大学に赴任された山浦さんと一緒に、「景観生態学の視点から迫る森林生態系管理」といったセミナーの中で、講演の機会をいただきました。私は、いつもながら、「自然撹乱体制を尊重した森林生態系管理」に関する話をしました

自然攪乱を尊重する形で、森林の施業をするということについて、主にカナダとスウェーデンの事例を用いて話をしたのですが、質疑応答の中でいくつかの点に気づきました。

問題のひとつめは、いつも問われることですが、生物多様性に配慮した森林施業をしている先進国の事例を、日本に適応するにはどうすればよいのかということです。そもそも林業先進国の多くは、もともと針葉樹が優占するところが多く、天然林の主要樹種がそのまま林業の対象であることが多いのに対して、日本ではそもそも暖温帯から冷温帯の広葉樹林が本来の植生であり、林業の対象であるスギやヒノキは、天然林としての要素をあまり期待できないといった問題があります。

ふたつめは、どのような伐採の仕方をするのか、伐期はどうするのか、育種や伐採の対象種はどうするのか、などといった技術的な問題もさることながら、そもそも林業に係る税制や森林認証、公的補助などの体制が異なること、それ以上に、生物多様性を保全することに対する社会、あるいは行政サイドの意識と、実際的な資金の投与が異なると思います。このような問題になると、林業経済や政策に疎い私では、何ともお答えしがたいです。このあたりも、特に日本の状況について、きちんと自分なりにセンサスして理解しないといけないことを痛感しました。

私の主張する攪乱生態学的には、生態系本来のプロセスをできるだけ尊重して施業・伐採することで、様々な生態系サービスや生物多様性を極端に損ねないようにするということを強調します。しかし、現実的には、それを実行する以前に、クリアすべきことが多くあり、自然科学として生態学による主張を展開するだけでは理想論にすぎないことを痛感しました。

ところで、よく私の主張を要約すると、自然攪乱を”模倣する”というようにまとめられます。私も以前にそのように端的に主張していたと思いますし、実際に論文等にも既述したような・・・。しかし、最近は、ただ外見的な様相を模倣する(たとえば、伐採地で自然攪乱後のような感じに樹木を残す)だけでは、必要であっても、十分ではないと主張する必要があると思っています。どのような特性、特徴、あるいは要素を残す・模倣することで、生態系の中のキープロセスを保全することに貢献できるのか、その意味合いと実際的効果の方がより重要と考えています。

長くなりましたが、要は、まだまだ勉強するべきこと、考えるべきこと、研究してみること、いろいろあることを痛感した東北での日でした。

 

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