震災から1年

もうすぐ東日本大震災から1年が過ぎようとしています。今週のNature誌では、震災から1年を振り返っての特集が組まれています。そこでは、Nature誌のエディターによる記事とカリフォルニアの研究者によるコメント記事が掲載されています。記事では、海外の研究者の意見だけでなく、国内の研究機関や行政、NGOなどに従事する人々のコメントなどもまとめられています。

 

今回の特集の中で、David Cyranoski氏により、津波から社会を守るための方策や都市計画についての見解がまとめられています。そこでは、日本政府が、防波堤と森林による津波防備のために巨額の予算を使うことに対する懸念が示されています。

まとめると、1)防波堤は多くの人々に間違った安心感を植えつけていたことで被害拡大につながったかもしれないこと(多くはマグニチュード8の地震の際の津波までを想定していたが、マグニチュード9は想定外だった)、2)3.11の際に防波堤は役に立っていた可能性(津波の高さを低くし、避難時間の延長につながった)がある一方で、この見解は防波堤が津波により壊れなかったとの不適切な想定に基づいていること、3)そのため、防波堤の効果は投資額の割に未知数であること、4)整備の仕方によっては津波に対する防備として森林が機能する可能性があるという意見がある一方で、森林による津波被害の低減効果に対する懐疑的な意見があること、などが述べられています。

要は、必ずしも防波堤と森林整備に批判的ではないが、巨額の投資なので、注意深く計画する必要があることが述べられていると解釈しました。私も同感です。記事では、復興庁の平野達男大臣が、「今後の災害死者をゼロにすることが目標である」とのコメントを紹介しています。私としては、ゼロリスクを目指しているかのような非現実的な目標だと感じます。理想的ではあるが、それを目指すことで、想定外の別の甚大な被害を生む可能性を懸念します。このような私の懸念は、同じくNature誌にコメントとして昨年に掲載してもらいましたが、こちらは、文字制限とさらなる編集により、本来言いたかったことがうまく伝えられなかったと思っています(過去のブログ記事も参照ください)。

今回のDavid Cyranoski氏による記事では、アーカイブされている今回の災害時の画像や動画が、世界中の人々に災害の恐ろしさを伝え続けることに役立つ可能性があることを述べています。私も強く同意します。防波堤や植林などは、ある程度の効果があるかもしれません。しかし、その効果は未知数で、かつ、上記1のようなサイドエフェクトも考えられるので、最も重要なのは災害の恐ろしさをより認識し、忘れないことだと思います。

今後の復興にあたり、日本政府には、被害ゼロを目指して極端に巨額の資金を投入し続けることよりも、社会としての適応性や柔軟性を高めること(レジリアンスの強化)による被害低減に重点を置いてほしいと思います。

 

P.S. ほかの記事も読みました。森林総研の方々が発表された土壌動物の放射能汚染なども紹介されています。さまざまなトピックに関して海外の研究者と日本の研究者の意見の双方(時に相反する)が紹介されており、興味深かったです。

 

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